just like a dude

要吉でなくつても、誰を捉へて来ても、斯う云ふ境遇の下に置いたら、矢つ張り要吉の通りに働くだらうと思はれるからである。従つて是は要吉であつて、明吉でも太吉でも半吉でもないといふ特殊の性格を与へてゐない。余は要吉の言動を読んで要吉と共に陰鬱にはなる、けれども成程要吉とはこんな種類の人間であると、著者から教へられた事がない。性格を上手にかく人は、これ程烈しい事件の下に主人公を置かないでも、淡々たる尋常の些事のうちに動かすべからざる其人の特色を発揮し得るものである。
 以上は余が煤煙の前篇を読み直して得た感想である。其当否はいざ知らずとして、此書を読む人の参考に多少なりはすまいかと思て序文とした。其裏面に追随する長所に至つては、読者の一見してすぐ気の付く事のみだからわざと略した。

 一体書物を書いて売るという事は、私は出来るならしたくないと思う。売るとなると、多少慾が出て来て、評判を良くしたいとか、人気を取りたいとか云う考えが知らず知らずに出て来る。品性が、それから書物の品位が、幾らか卑しくなり勝ちである。理想的に云えば、自費で出版して、同好者に只で頒つと一番良いのだが、私は貧乏だからそれが出来ぬ。
 衣食住に対する執着は、私だって無い事はない。いい着物を着て、美味い物を食べて、立派な家に住み度いと思わぬ事は無いが、只それが出来ぬから、こんな処で甘んじて居る。

 何しろ言いだしたものに責任を負わせるのは当然の事だから、さっそく万事を三重吉に依頼する事にした。すると、すぐ金を出せと云う。金はたしかに出した。三重吉はどこで買ったか、七子の三つ折の紙入を懐中していて、人の金でも自分の金でも悉皆この紙入の中に入れる癖がある。自分は三重吉が五円札をたしかにこの紙入の底へ押し込んだのを目撃した。
 かようにして金はたしかに三重吉の手に落ちた。しかし鳥と籠とは容易にやって来ない。
 そのうち秋が小春になった。三重吉はたびたび来る。よく女の話などをして帰って行く。文鳥と籠の講釈は全く出ない。硝子戸を透して五尺の縁側には日が好く当る。どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側へ鳥籠を据えてやったら、文鳥も定めし鳴き善かろうと思うくらいであった。

  
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